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アフロ=アジアをめぐる経験 – 大和田俊之

昨年一年間、私はハーバード・イェンチン研究所の客員研究員としてマサチューセッツ州ケンブリッジに滞在した。渡米したのは2020年3月7日。本当は3月末の航空券を取っていたのだが、新型コロナウィルスが世界的に流行し始めており、日米の行き来も制限される可能性が高まっていた。実際、私が飛行機で太平洋を横断している最中に、受け入れ先の大学がすべての関係者に渡航禁止令を出したほどである。

 

新居に移動し、荷物も解いてようやくひと段落した頃に、トランプ大統領が「武漢ウイルス」という言葉をメディアで使用し始めた。それまでのトランプの言動を考えれば特に驚くべきことではなかったが、私たち家族には少なからず影響があった。全米でアジア系に対するヘイトクライムが急増したのだ。もちろん、ケンブリッジはアメリカでもっともリベラルな地域に数えられるし、子供が通っていた小学校でもすぐに特別授業が開かれ、ウイルスを特定の人種・民族と結びつけてはいけないことが強調された。だがあの時期、中国人=アジア系=私たちのような見かけの人々がウイルスをアメリカに持ち込んだという先入観はかなり広がっており、それは慣れない土地に移り住んだばかりの私たちにとって大きなストレスの原因になったのだ。

 

小さい子供が二人いるので一日中家にいるわけにもいかず、近くの公園に散歩に連れてゆく。その際、アジア系の私たちはしばしば敵対的な目つきで見られた。あるいは、こちらが自意識過剰でそう思い込んでいただけかもしれない。だが直接的な被害に遭わなかったものの、すれ違いざまに睨みつけられたり、舌打ちされることは何度かあった。これはアジア系に対する差別というよりは、ウイルスへの恐怖心がそうした行動につながっているのだろうと考えた時期もあるが、そもそもアメリカでアジア系が常に病原菌と結び付けられてきた歴史を思えば、このコロナ禍でそうしたアジア系のステレオタイプがさらに強化されたのだと考えざるをえなかった。なにより初めて海外で生活する子供たちに、こうした経験をさせてしまうことに親として歯痒い思いがあった。

 

それと同時に、私は自分の幼少期を思い出していた。私はいわゆる帰国子女で、9歳から12歳まで父親の仕事の都合でギリシャのテサロニキという街に住んでいた。テサロニキはギリシャ第二の都市だが工業都市であり、観光客もほとんどいない。ギリシャといっても誰もが思い浮かべる青い海や白い家といった風景とは縁がなく、どちらかというと暗く、灰色の空とへどろの浮いた港──テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』を思い浮かべて欲しい──が特徴の街である。アジア人はほとんど見かけなかったし、私たち家族が滞在している頃、日本人は数えるほどしかいなかったように思う。

 

その街で、私と弟はほぼ毎日、外に出て人とすれ違うたびにギリシャ人に奇異の眼差しを向けられた。アメリカンスクールに通っていたので、学校の敷地に入れば友人がいたものの、街を歩くたびに笑われ、人差し指で目尻を引っ張る仕草をしながら「チンチョン、チンチョンチャン」と嘲りの声をかけられた。それが典型的なアジア人のステレオタイプ──「釣り上がった細長い目(スラント・アイ)」──であるという知識を得る前のことである。

 

だが率直にいうと、それは不愉快で面倒な経験ではあったものの、差別されているという意識は希薄で、ギリシャでの生活は総じて楽しい思い出として記憶されている。むしろ個人的にとても苦しい思いをしたのは日本に帰国したあとだが、それはまた別の話である。

 

そんなことを思い出しながらアメリカでの生活を軌道に乗せ始めたころ、ジョージ・フロイド氏殺害事件が起きた。ブラック・ライヴズ・マター運動が再燃し、全米が異様な雰囲気に包まれた。私が驚いたのは、多くのアジア系アメリカ人がいち早くアフリカ系のムーヴメントに連帯の意志を表明したことである。奇しくもコロナ禍でアメリカの二つのマイノリティーグループに対する差別が露わになり、その共闘の(不)可能性の歴史にあらためて関心が集まったのだ。

 

実は、私は今回の在外研究で1970年代から80年代の日本の音楽、とくにYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の活動を日米の音楽文化の交流史に位置づけることを目的としていた。またそのアプローチのひとつとして、「アフロ=アジア」という学問的な手法に数年前から取り組んできた。多くの文化研究がマジョリティー/マイノリティーの交渉に焦点を当てるのに対し、マイノリティー同士の交流に着目する枠組みは興味深く、多くの刺激的な成果を生んでいた。当初はまったくのアカデミックな関心から採用した「アフロ=アジア」という主題を、私はコロナ禍のアメリカで、よりパーソナルな問題として経験することになったのだ。

 

コロナ禍、アジア系に対するヘイト、そしてBLM。10年ぶりのサバティカルは、自分の幼少期の経験を振り返りつつ、あらためて差別(discrimination/distinction)と尊厳(dignity)について思索を巡らせる一年となった。

 

 

大和田俊之

アメリカ文学、ポピュラー音楽研究。『アメリカ音楽史』(講談社)で第33回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞。他に編著『ポップ・ミュージックを語る10の視点』、長谷川町蔵との共著『文化系のためのヒップホップ入門1、2、3』(アルテスパブリッシング)など。