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DはドーナツのD – 開沼博

 Dが頭文字に来る言葉かぁ、と改めて考えてみたわけだが、やはり”Decommission”と”Decontamination”が脳裏に浮かんだ。つまり、「廃炉」と「除染」だ。

 

 Decommissionのほうは、除染という意味以外にも「退役する」とか「引退する」という意味もあって、何か高齢化したり人口が縮小したりしている今の社会の一側面を広く表す言葉でもあるように感じる。Decontaminationのほうも放射性物資に限らず、様々な汚染を取り除くプロセスを指す言葉で、情報とかウイルスとか、いろんな予期せぬ汚染に向き合わざるを得なくなっている現代人が嫌でも共存を強いられてしまうようになったなにかを表す言葉であるようにも思える。

 

 つまり、この2つのDの裏側には普遍的な問題が横たわっているわけだ。ただ、少なくとも自分は、だが、10年前はこの2つの英単語を知らなかった。知る理由もなかった。いまはこの2つの単語が、福島研究者として身近なものになり、まだまだその状態は続きそうだ。

 

 そんな2つのDに思いを巡らせる中で、より重要なもう一つのDがあることにも気づいた。それは”Donut”=「ドーナツ」だ。ドーナツ的な問題構造。中空構造と言っても良い。それが溢れている。

 

 例えば、除染で出た土壌などを保管する中間貯蔵施設と呼ばれる敷地が、福島県双葉町・大熊町にある。これは、福島第一原発の敷地を囲うように海に面してちょうどドーナツを半分に切った形をしている。羽田空港ぐらいの広大な面積をもっている。2015年からフレコンバッグと呼ばれる1立米ほどの黒い袋に入れられた除染土壌が運び込まれはじめているが、その運び入れ開始の時期から30年以内に、再び福島県外に持ち出して最終処分をするという話になっている。この約束は当時の民主党政権と福島県の間でなされて、地元自治体も同意したものだが実現の目処はたっていない。最終処分場という核心が空白のままだ。

 

 ここまではたまにニュースでも出る話なのだが、その裏にはさらにいろいろなドーナツ的な話が埋もれている。

 

 例えば、そもそもこの土地はすでに7-8割が国のものになっていて、持ち主がいないから、例えば「土地を返せー」とか「いずれこんな使い方をしよう」いう人・主体も(ゼロではないが)実質的にいない状態になっている。そもそも、この中間貯蔵施設ができるまでのにも興味深いプロセスがあった。除染をして、その土をどこに持っていこうか、集めようかという話になった時、それは地域の学校や公園などを「仮置き場」にしてとりあえずそこに集約すべきだ、という話が当初目指された。しかし、「なんで家の前の公園にそんなものを置くんだ」とか「学校の校庭にそんなのあったら心配だ」とかいった話が当然でてきて、葛藤が顕在化していった。

 

 そんな中で、葛藤の解決の手段として取られた方法がある。それは「仮仮置き場」をとりあえず作りながら考えよう、という発想だった。仮置場という中心地を作ろうという前提だと、もめる。収集がつかなくなる。でも、当面の、暫定的な場=仮仮置き場を点在させることならまあ良いか、そうでもしないと除染も何も動かないだろう、と話が少しは進む。だから、「仮仮置き場」という不思議な呼称の何かができてきた。ここでもまた仮置場という中心を置かない、というドーナツ的な対応がなされたのだった。

 

 福島県内で発生した除染土壌等は東京ドーム11杯分に及ぶ。この膨大なものの中間貯蔵施設への運び入れは2021年度末までに終わる予定だ。つまり、その仮仮置き場というドーナツ的な地元住民の合意形成のための知恵はとりあえず功を奏していまに至っているとは評価できる。だから、ここでドーナツ的なものが悪いとか良いとか言うつもりはなくて、それは何か不思議な力をもちながらこの10年を支配してきたようにも思う。

 

 あれから10年たったいま、私はそのドーナツ構造に正面から向き合うための試みをいくつか実践してみている。

 

 例えば、福島第一原発構内でのフィールドレコーディングのCD「選別と解釈と饒舌さの共生」を、3.11から1ヶ月前の2021年2月11日にリリースした。みな饒舌に福島第一原発を語ってきた割に、果たしてその中心に足を踏み入れようとしてきた人はどれだけいるか、そのドーナツの真ん中に関心を持ってきたのか、という感覚が私にはずっとあった。周囲を撮影したドキュメンタリーとかはいくらでもあるが、それって結局池の外周をなぞっているようなもんではないか、なぜ池の中に飛び込んで中を泳いでみないのだろうと。もちろん、テレビで新聞で福島第一原発の中についてのニュースを見るようなことはあるだろう。でも、それはすでに様々な解釈が付され、あるいは多くの画像・映像は特定の構図から撮影されたものしか流通していない(と言われないと気づかないと思うが、ぜひ福島第一原発関連の写真を検索するなどして調べてほしい。特定の角度・構図からの写真ばかりであることに気づくはずだ)。これは、福島第一原発が、核物質防護上の問題、つまり、テロリストなどが核燃料などを取りに来るのを防ぐセキュリティのために、核心部に至る移動経路を知りうる被写体を撮影できないように制限が加えられているからだ。

 

 だから、このドーナツの真ん中(=福島第一原発の構内)を埋めてやろうと思ったのが、フィールドレコーディングという手法だった。福島第一原発の中は、撮影の制限は上記背景のもとである。でも、録音の制限はほぼない。だから、あらゆる音声をとってやろうと、レコーダーにつながったバイノーラルマイクを持ち込み、使用済み燃料取り出し作業に入る三号機にあがるエレベーターとか、建屋前の水の放射性物質検査のために毎日動いている船の上とか、大方の作業者が帰ったあとの夜20時のチャイムの音とか、食堂で働く女性たちの声とか、そういったものを収集していった。こんな音源を集めてもどう聞かれるだろうか、そもそも誰も関心を持たないだろうなぁとも思いながら完成させたが、意外と良いリアクションをもらいはじめたところでもある。

 

 ・・・と思いながら改めてCDを見返していたら、これ自体ドーナツみたいな形してたなと気づいたりもする。無意識化されたドーナツみたいな何かにこれからも向き合おうと思う。その穴を埋める作業が一歩前に進むためのなにかにつながっている気がするから。 

 

 

開沼博(かいぬま・ひろし)

 

立命館大学衣笠総合研究機構准教授。1984年福島県生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。専攻は社会学。著書に『日本の盲点』(PHP研究所)『はじめての福島学』(イースト・プレス)『漂白される社会』(ダイヤモンド社)『福島第一原発廃炉図鑑』(太田出版、編著)『常磐線中心主義』(河出書房新社、編著)など。学術誌の他、新聞・雑誌等にルポ・評論・書評などを執筆。